落合陽一さんの「マタギドライヴ」という話を知って、少し希望を感じました。
AIや計算機による自動化された基盤を使いながら、まだ価値の定まっていないものや、知らない文脈を探索して、発見したものを持ち帰る。今のところ、自分はそういう考え方として受け取っています。
最近このブログでも書いていましたが、AIとの付き合い方が本当に難しい。
今のモデルの性能を最大限引き出そうと頑張っても、新しいモデルが出ると、それまでやっていたことの意味がなくなったりする。でも、新しいテクノロジーから新しい音楽が生まれる可能性にはワクワクする。だから無視したいわけでもない。
一方で、自分の感覚をじっくり手を動かして音にしていく時間も欲しい。AIを使って耳のトレーニングゲームや教材を作ることと、時間をかけてDAW内部で音を触ることは、自分の中で使っている部分が全く違う感じがある。どちらもやってきたけど、後者が足りていないなと思っていました。
マタギドライヴの話は、その両方をやっていくことが探索であるというふうに感じました。
AIを使わない生活に戻りたいわけじゃない。でも、AIの性能を追いかけて、使いこなすことばかりを頑張りたいわけでもない。
自分で体験したり、音を聴いたり、作ってみたりする。その中で気になったことを、計算機も使いながら作品や授業にしていくかんじ。